ウイスキーのロックが当たり前になる百年前、氷そのものが大洋を渡る商品でした。19世紀前半、ボストンの実業家フレデリック・チューダーは、ニューイングランドの湖で切り出した天然氷を断熱船でカリブへ、南米へ、ついにはインドのカルカッタまで輸出する「氷貿易」を築き上げ、「アイス・キング」と呼ばれます。おがくずで断熱された氷塊は数ヶ月の航海を耐え、熱帯の港で富裕層の飲み物を冷やしました。冬の湖という「無料の資源」を世界商品に変えたこの事業は、当時の常識では狂気の沙汰と笑われた末の大成功でした。日本でも明治期、函館の天然氷が「函館氷」として輸入ボストン氷と競い、市場を勝ち取っています。やがて機械製氷と冷蔵庫がこの貿易を過去のものにしますが、「冷たい飲み物は贅沢である」という感覚の起源はここにあります。グラスの中で鳴る氷は、かつて帆船で海を渡った宝石の末裔なのです。