戦後復興期の日本で、ウイスキーを庶民の飲み物にした立役者は、街角の小さなバーでした。1950年代、サントリー(当時は寿屋)の大衆向けウイスキー「トリス」を看板にした「トリスバー」が全国に広がります。最盛期には全国で数万軒とも言われるこの酒場は、高嶺の花だった洋酒を、サラリーマンが背広のまま立ち寄れる価格と気安さで提供しました。トリスのハイボールを片手に、ジャズを聴き、人生を語る——「洋酒文化」という言葉とともに、バーという空間そのものが日本の都市生活に根付いたのです。開高健や山口瞳らを擁した壽屋宣伝部の広告(「人間らしくやりたいナ」)は広告史の伝説となり、アンクルトリスのキャラクターは時代の顔になりました。後の角ハイボール復活(2008年)は、実はこの時代の再演です。日本のウイスキー文化の大衆的な土台は、高級バーではなく、この庶民の止まり木で築かれました。
トリスバーの時代 — 庶民がウイスキーと出会った
1950年代、街角のトリスバーが庶民にウイスキーを開放しました。「洋酒文化」という言葉はここから広がります。