2000年代初頭、埼玉の羽生蒸溜所が経営難で閉鎖され、熟成庫に残された約四百樽の原酒は廃棄の危機に瀕していました。これを引き取ったのが、創業家の孫・肥土伊知郎氏です。行き場のない樽を福島の酒蔵に預かってもらい、自らの名を冠した「イチローズモルト」として一本ずつ世に出していく——トランプの札を意匠にした「カードシリーズ」(全54本)は、当初こそ無名でしたが、バーテンダーたちの口コミで評価が広がり、やがて国際オークションでシリーズ全揃いが数億円で落札される伝説となりました。肥土氏は2008年、故郷の秩父に自らの蒸溜所を設立。小さな蒸溜所の成功は「大資本でなくても世界と戦える」ことを証明し、続く日本のクラフト蒸溜所ブームの精神的な導火線となります。潰えた蔵の四百樽から、日本のクラフトの時代が始まった——現代日本ウイスキー史で最も愛される再生の物語です。