山崎蒸溜所の建設(1923年)で手を組んだ鳥井信治郎と竹鶴政孝は、10年後に袂を分かちます。契約期間を終えた竹鶴は1934年に退社し、理想の地と信じた北海道余市で大日本果汁を設立——後のニッカウヰスキーです。二人の別れは不和の物語として脚色されがちですが、本質は理想の違いでした。鳥井が目指したのは「日本人の味覚に合う、日本の風土のウイスキー」。竹鶴が目指したのは「スコットランドに限りなく忠実なウイスキー」。前者は華やかで繊細な山崎へ、後者は力強くスモーキーな余市へと結実します。重要なのは、この分岐が日本のウイスキーを貧しくするどころか、二つの美学の競争として豊かにしたことです。サントリーとニッカ——90年後の今も続く二大系譜は、あの別れの日に生まれました。一つの正解に収斂しなかったことこそ、日本のウイスキーの幸運だったのです。
鳥井と竹鶴、二つの理想の別れ
1934年、竹鶴政孝はサントリーを離れ北海道へ向かいます。この別れが、日本に二つのウイスキーの系譜を生みました。