スコットランドの熟成庫に入ると、甘く芳醇な香りが充満しています。案内人は言うでしょう——「これが天使の分け前です」。エンジェルズシェアとは、樽熟成中に木肌を通して蒸発し、失われていくウイスキーのこと。オーク樽は微細な呼吸をしており、その呼吸こそが熟成に不可欠である一方、中身は少しずつ大気へ逃げていきます。熟成庫の香りは、文字通り「逃げた酒」の香りなのです。
01 数字で見る天使の食欲
スコットランドの気候では、失われる量は年に約2%。仮に200リットルの樽なら、初年度だけで4リットル——ボトル5〜6本分が空へ消えます。複利的に減っていくため、10年で約18%、25年熟成ともなれば樽の中身は半分近くまで目減りする計算です。30年物のウイスキーが高価なのは、単に時間が長いからではなく、「天使に半分奪われた残り」だから——長期熟成の価格は、蒸発の経済学でもあります。
02 「悪魔の取り分」もある
天使だけでなく、悪魔も取り分を主張します。樽の木材そのものに染み込んで回収できなくなる分は「デビルズカット(悪魔の取り分)」と呼ばれ、ジムビームはこの樽に染みた酒を抽出して製品化したその名も「デビルズカット」を発売しました。天使と悪魔、両者に「税」を納めた残りが、私たちのグラスに届く——ウイスキーの一杯は、想像以上に多くの目減りを生き延びた液体なのです。
03 ロマンの経済学
興味深いのは、業界がこの損失を「ロス」ではなく「天使の分け前」と呼び続けてきたことです。年間数百億円分が蒸発する計算でも、それを詩の言葉で語る——この物語の力こそ、ウイスキーが単なるアルコールではなく文化である証拠でしょう。熟成庫の見学で深呼吸をしたら、あなたも天使の相伴にあずかったことになります。無料で楽しめる、最も贅沢な香水です。