今や世界のウイスキー用語となった「MIZUNARA」。ジャパニーズの香りの代名詞であり、スコッチの名門までがこぞってミズナラ樽フィニッシュを出す時代です。しかしこの樽の物語は、栄光ではなく欠乏から始まりました。

01 1940年代 — 樽がない、ならば日本の木で

第二次大戦中から戦後にかけて、日本のウイスキー業界は輸入樽の途絶に直面します。苦肉の策として選ばれたのが、北海道などに自生する水楢(ミズナラ)でした。ところがこの木は樽材として問題児——導管が太く液漏れしやすく、まっすぐな材が取りにくく、加工も困難。当初は「漏れる代用樽」と評判は散々で、香りも独特すぎると敬遠されたと伝えられます。

02 20年後に届いた「お香の手紙」

評価が一変したのは、ミズナラ樽の原酒が20年級の長期熟成を経てからです。若いうちは荒れて見えた個性が、歳月とともに伽羅や白檀、お香を思わせる深いオリエンタルな香りへ昇華していた——この発見により、ミズナラは「時間がかかるが唯一無二の樽」として再定義されます。山崎のミズナラ樽原酒が海外品評会で絶賛され、「寺院の香り」「日本の森の記憶」と詩的に評されるに至り、かつての代用品は王座に就きました。

03 世界のMIZUNARA時代

シーバスリーガル ミズナラ、ボウモア ミズナラカスク、アイリッシュや台湾の実験作——ミズナラは今や国際様式です。興味深いのは、各国の造り手が「日本への敬意」としてこの樽を語ること。戦時の欠乏から生まれた樽が、80年後に日本文化の大使になる——ウイスキーの歴史でも屈指の、美しい逆転劇です。飲む機会があれば、まず香りだけで一分。お香の記憶が、グラスの縁に立ち上ります。