日本のウイスキーの歴史は、まだ100年余り。しかしその短い時間に、模倣から出発した極東の酒は世界の頂点に立ちました。物語を5つの転換点で要約します。
01 転換点① 1923年 — 山崎の賭け
寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎が、周囲の反対を押し切り私財を投じて山崎蒸溜所を着工。スコットランド帰りの技術者・竹鶴政孝を初代工場長に迎えました。「日本人の繊細な味覚に合うウイスキーを」という鳥井の理想と、本場仕込みの竹鶴の技術——この出会いが日本のウイスキーの母胎です。1929年の国産第一号「白札」は当初苦戦しますが、種は蒔かれました。
02 転換点② 1934年 — 二つの道
理想の熟成地を巡り鳥井と袂を分かった竹鶴は、北海道余市で大日本果汁(ニッカ)を創業します。華やかさへ向かうサントリーと、本場の重厚を追うニッカ——対照的な二つの哲学の競争が、日本のウイスキーの多様性の原型を作りました。戦後、トリスバーの時代、オールドの黄金期を経て、ウイスキーは日本の夜の主役に登りつめ、1983年に消費量のピークを迎えます。
03 転換点③ 低迷の四半世紀 — 樽は眠り続けた
その後の焼酎ブームと嗜好の変化で、ウイスキー市場は25年にわたり縮み続けます。蒸溜所の閉鎖(軽井沢など)、生産縮小——しかしこの冬の時代、売れないまま眠り続けた長期熟成原酒が、のちの世界的評価の弾薬になるという皮肉が仕込まれていました。歴史の授業のような伏線回収は、次の転換点で起こります。
04 転換点④ 2003〜2015年 — 世界が気づいた
2003年、山崎12年がISCで日本初の金賞。以後、響、余市、竹鶴が国際賞を総なめにし、2014年のドラマ「マッサン」と同年の「世界一のウイスキー」報道(山崎シェリーカスク)で国内外の熱狂が合流します。同時期、2008年の角ハイボール復活が国内消費を蘇らせ、需要は爆発。眠っていた原酒は瞬く間に払底し、年数表記品の休売と価格高騰という「勝利の代償」も生まれました。